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菓子の歴史 は古く、弥生式文化時代には食べられていた。しかし、現在のような形態のものになったのはかなりのちのことで、当時は果物や餅・いり米などであった。また、粥を発酵させた甘酒のようなものも菓子とされていた。このように古代の菓子は、果物と穀類の加工品から成っていた。 奈良平安時代から鎌倉時代 にかけては、大陸の文明がわが国に伝わり、とくに、仏教の伝来などと共に、唐菓子がわが国に入ってきた。この菓子は、モチ米・ウルチ米・麦・ダイズ・アズキなど穀類の粉を原料として作り、酢やもろみ・塩・ゴマ・甘味料などで調味し、油で揚げるか、蒸し器で蒸すか、あるいは焼いたものであった。当時はこれを”唐果物”と称し、おもに上流社会で食され、儀式などにも用いた。この菓子は、日本人の好みに適したため非常に発達し、果物とは区別されるようになった。この時代を唐菓子時代と呼んでいる。またこの時代には団子や月餅のような菓子も伝来している。 これに対し、 室町時代から安土桃山時代 までは点心時代といってもよい。この時代から、食事の間に点心として間食する風習が広まり、二食であった食事が三食となっている。点心は後世のおやつ的な意味のもので、当初はすいとんのような蒸し物を入れた汁で、あつものと称するものを食べていた。その後、汁よりも中の蒸し物が重要視されるようになり、これが蒸し菓子へと発展した。点心としてよく用いられたものとしては、ようかん・まんじゅう・めん類・とうふなどがある。とくにこの中で、ようかんだけが今日まで続いている。当時のようかんは、デンプン・アズキ・米粉などを材料にしたものであった。 安土桃山時代 になると、茶道が盛んとなり、これにともなって、茶の湯に用いられる和生菓子などの発達が顕著になった。この時代に、現在の生菓子の形態が作られたと考えられる。形の美しい、甘くておいしい干菓子や棹物などが作り出された。しかし、このころの菓子は、一般庶民には手のとどかぬ高価なものとなり、趣味的なものであった。現在京菓子と称する優雅な菓子の前駆である。 足利時代の終わりから鎖国令がしかれる江戸時代の初期にいたるまでを南蛮菓子時代という。この時代には、海外、なかでもヨーロッパとの交流が盛んとなり、いわゆる南蛮菓子としては、金平糖・カステラ・ボーロ・有平糖・カルメラ・ビスケット・パンなどがあげられる。ここで初めて洋風の菓子が出現することとなった。菓子の渡来と同時に砂糖の大量輸入が行われた。それまでは甘味料としては、あめやアマヅラを煎じた汁が用いられていたが、それに代わって砂糖の使用がはじまった。 |
| 江戸時代 にはいると菓子は著しく発達した。この時代になると、砂糖が相当多く使えるようになったため、甘い和菓子が急速に発展していった。当時、江戸には幕府があり、京には皇室があったため両方に文化が分かれ、その文化が大きく対立した。菓子も、京都式の京菓子と江戸式の菓子とが平行して発達していった時代である。京菓子は茶道の情緒に適した技巧的な品のよい菓子であり、江戸菓子は京菓子から発達したものの、庶民的で淡白な味わいのある菓子であった。また江戸菓子は、雑菓子と称する独特の菓子を作り出した。雑菓子は白砂糖の使用を禁止されていたので、黒砂糖で甘味を付けた素朴なものであった。しかし、値段が安く庶民的であったため、別名、駄菓子とか一文菓子と称され人気を集めた。とくにこのころからは、はっきりと加工されたものを菓子と呼ぶようになり、菓子類が独立した。町人なども、商売でこしらえたまんじゅう・さつき餅・焼き餅などを売り、一般人はそれを買って食べたと記録されている。おこし・今川焼き・豆板・すはま・大福餅・サクラ餅・きんつば・塩せんべいなどもこの時代に生まれた菓子である。また、この時代の菓子の種類には、儀式用・皇室献上用・神仏膳用・冠婚葬祭用・宴席用・家庭用などがあり、蒸し菓子・ねり菓子・干菓子などがみられる。さらに、江戸城へ献上される装飾菓子も出現する。これらは、とくに豪華に作り、宝船や富士などに形どり、あるいは大判小判を飾りつけしたものであった。 |
| 明治 になると文明開化の名前とともに洋菓子が多量にはいってきた。そして洋菓子の影響を受けた和菓子なども大きく発達し、現在の菓子界の基本的なものが作られていった。バターやミルクを材料としたいわゆるバタ臭い菓子は、当初、日本人の口には親しみがなかったが、しだいに人気を呼び、数多くの洋菓子店が現れた。さらに喫茶店が出現し、コーヒーに洋菓子をそえて供した。そのため、洋菓子の需要は非常にのび、機械化された工場で生産されるようになった。しかし、第二次世界大戦が始まると、菓子はぜいたく品として影をひそめていった。そしてただ甘くさえあればよいという考えのもとに、人工甘味料などを多く用いた菓子がこの時代に現れた。このような菓子類は、現在の菓子類の中にも一部受けつがれている。 |
| 第二次世界大戦 が終わった当初も甘い菓子を口にすることができなかったが、国民の生活がもとに復してくると、菓子は異常な発達をとげた。とくに大量生産の機械が多く用いられるとともに、菓子が大きな工場として成り立つようになった。さらには人口の都市集中も菓子類を大量生産時代へと突入させる原動力となった。そのため、手細工で作られるような菓子類は順次減退し、これにともなって、生産面から機械化されやすい菓子が普及するようになった。また一方、動物性タンパク質の充実といった栄養的な変化があり、食生活の洋風化と共に、過去千数年にわたって発達をとげてきた和生菓子は減退の一途をたどりつつある。これに対して、ヨーロッパやアメリカなどで発達した洋菓子系のものが、著しい発展をとげてきている。今後、菓子類はさらに近代化をたどり、それと同時に、人間の食べ物を料理するという楽しさに対する欲望を満たすために、工場生産では菓子の材料を作り、各家庭でそれを用いてホームメイドの菓子が作られるようになると考えられる。 |
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